シーサーのいる風景




沖縄の家々の屋根を飾る〈シーサー〉
(〈獅子〉の沖縄読みへの転訛)
そこには沖縄の近代史の縮図がありました

2021年度


シーサー前史(1)〜威張ってる人のために

 15世紀頃までに琉球に伝わった中国の〈獅子〉意匠は、当初は王宮や貴族の館などの飾りに取り入れられただけでした

玉陵(たまうどぅん)の石彫獅子
雌獅子(左)
世界遺産シリーズ第10集 2002年12月20日発行
雄獅子(右)
1968年用年賀はがき 1967年11月15日発行

円覚寺放生橋の獅子
文化財保護強調週間記念切手と那覇東局特印
1967年11月1日発行
普通切手(建築物シリーズ) 1953年1月20日発行



1967年文化財保護強調週間記念特印(使用全局)

首里当蔵局風景印
1992年5月15日使用開始


統一琉球の王府となった首里城にも、守礼門の次の門、歓会門に・・・

世界遺産シリーズ第10集
2002年12月20日発行

いた!

※1510年ごろに作成されたとされるオリジナルは戦火の中で失われ、現在のものは複製品
【参考資料】
1954年用複十字シール
1954年12月1日発行

さらに脇門の瑞泉門にも・・・

エコー葉書地方版(沖縄)
1985年3月1日発行
ふるさと切手
《旅の風景》第3集
2009年1月23日発行

いた!



シーサー前史(2)〜屋根の上のシーサー


 ちなみに、のちにシーサーの常駐場所となる瓦屋根ですが、琉球王国時代には厳密な身分制のもと、屋根へ瓦を葺くこと自体が階級別に規制されていました

 例えば八重山地頭職にあった宮良家が建設した宮良殿内(みやらどぅんち:1819頃)は、首里王府からの取り壊し命令をしばしば受け、ついに1875年、瓦葺から茅葺へと屋根の吹き替えに追い込まれました
文化財保護強調週間 1964年11月1日発行
同上・那覇局記念印



 このように身分的特権の象徴であった沖縄の屋根瓦。 その象徴である赤い色は、本土の瓦に比べて焼成温度が低く割れやすいという特性の表彰でもありました。 また台風などの防風雨対策として、屋根に葺いた瓦はさらに白い漆喰で固められたため、ここに赤と白のコントラスト鮮やかな沖縄独特の風景が生み出されました
 この割れやすい瓦と漆喰という素材を同時に扱うのが沖縄の瓦職人。 その余技として割れ瓦と漆喰によるシーサーが屋根飾りとして造形されるようになりました

第2次普通切手〈瓦屋根〉 (原画・大村徳恵)
1950年1月21日発行
ふるさと切手〈観光名所〉宮古島
2020年2月7日発行

エコー葉書地方版
(沖縄)
1987年6月1日発行


新城征孝・画
〈屋根獅子(シーサー)〉
1991年用年賀葉書(沖縄版)
1990年11月1日発行
平安座資尚・画
〈屋根シーサー〉
1995年用年賀葉書(沖縄版)
1994年11月1日発行

【参考資料】

沖縄復帰10周年・京都駅記念入場券(大阪鉄道管理局・1982年5月15日)

テレホンカード
1994年8月1日発売
テレホンカード・私家版
テレホンカード・私家版 大阪市交通局・レインボーカード



シーサー前史(3)〜ふつうの人々のために

〈百姓〉には17世紀の終わり頃から、共同体丸ごとの守りとして、村落獅子と呼ばれる獅子意匠が普及してゆきます
富盛(ともり:八重瀬町)の石彫大獅子(うふじし)
東風平局風景印 1978年1月25日使用開始
南風原(南城市大里)の村落獅子
大里局風景印 1987年10月24日〜2007年6月22日
※沖縄各地の観光名所で我々を迎えてくれるシーサー(観光獅子)なども、村落獅子の現代的あり方と言っても良いのかもしれません
国際通りのシーサー
ふるさと切手《旅の風景》第3集 2009年1月23日発行


 1879年、明治政府によって王国から藩へと格下げされていた琉球は、ついに沖縄〈県〉として帝国日本に直接組み込まれ、琉球王国の身分制もまた、日本の〈四民平等〉下の近代的身分へと再編されます。 その結果、1889年、旧・琉球士族の特権であった赤瓦の使用が旧・百姓に解禁され、上掲の宮良殿内も再び瓦葺に

 こうして庶民も屋根に瓦を葺いて、その上にシーサーを置くことができるようになり(経済的余裕さえあれば)、シーサーの業務内容は、村落共同体の集団防衛を残しつつ、個々の家を守るホームセキュリティーへと拡大してゆきました(これ以上守備範囲を細分化すると、個々人の頭の上にシーサーを載せて歩くおかしな風体になってしまうので、このあたりが落としどころ)

 ということで、沖縄の屋根屋根にシーサーが見られるのは、〈沖縄処分〉により琉球王国下の前近代的身分制が解体され、身分制的支配下にあった村落共同体から個々の家が析出されたことの象徴でもありました
 しかし、琉球王国の身分制の桎梏から解き放たれた沖縄県民を待っていたのは、大日本帝国から沖縄県への、また〈本土〉人の沖縄県民に対する〈琉球差別〉でした

 シーサーが村落に普及するきっかけとなったとされる富盛の大獅子を描いた東風平局の風景印(上掲)に、この琉球差別と闘い、敗れた、謝花昇の銅像が並んで描かれているのは、琉球・沖縄をめぐる前近代・近代の二つの差別との闘いを象徴しているかのようです
偉人シリーズ第1集・謝花昇
1970年9月25日発行
エコー葉書地方版(沖縄)
1995年8月3日発行



焼きシーサーの登場

 こうして〈近代〉はシーサーの普及を推し進めた一方で、工業国化を進めていた〈本土〉よりの陶磁器の流入も招き・・・沖縄の伝統的陶器(やちむん)は壊滅的な打撃を受けます。 そんな中、20世紀初頭に沖縄に移住し、琉球古典焼を興した大和・橿原出身の黒田理平庵(庄次郎)は、これまでの漆喰製のシーサーを焼物として製作して〈本土〉向けの商材とすることを提唱します
 こうして生まれた〈焼きシーサー〉は、お土産物にとどまらず屋根の上のシーサーにも波及しましたが、赤瓦との相性もあってか、釉薬により加彩されたお土産物用の壺屋焼きなどの琉球古典焼きとは異なった、赤い素焼のモノが好まれたようです

緑釉単彩のシーサー
外信用往復葉書
1963年2月15日発行

素焼のシーサー
エコー葉書地方版(沖縄)
1987年4月1日発行
ふるさと切手
《旅の風景》第4集
2009年2月2日発行
エコー葉書地方版(東京)
1991年6月10日発行
エコー葉書地方版(東京)
1993年7月1日発行

素焼に加彩したシーサー
フレーム切手
《沖縄の風景》
2007年3月19日発行



屋根の上のシーサー(1)〜独身貴族時代

とうことで、もともとは屋根の中央に正面を向いた阿形のオスのシーサーを一体のみ置くのが一般的でした
1958年用年賀葉書
1957年12月1日発行

※上掲年賀葉書と同時に発行された年賀切手用のOC(官製カシェ)
那覇中央局 1957年12月1日



組踊切手第1集
小型シートの飾り
1970年4月28日発行
那覇局風景印
1977年11月21日〜82年6月30日
牧志局風景印
1977年11月12日使用開始
美栄橋局風景印
1977年11月12日〜01年9月24日
復帰10年記念・八重山局小型印 1982年5月15日 首里城公園開園記念 首里局小型印 1992年11月14日


【参考資料:海洋博記念として発行されたシール】 切手じゃないけど、一丁前に大蔵省印刷局製造なので



屋根の上のシーサー(2)〜亭主関白時代

 アメリカ軍住宅の影響下でコンクリートの平屋根住宅が増えるとシーサーは居場所を失ってしまいます。 新たな活躍の場を求めたシーサーは門柱などに進出。 その結果、阿吽の左右一対(向かって右が阿形のオス・左が吽形のメス)のものが多くなり、また体の側面を見せながら首を正面に振るスタイルのものも一般的になりました
21世紀メモリアル・那覇東局小型印
2001年1月1日

・・・が、切手や消印に描かれるのはなぜか阿形のオスばかり

エコー葉書地方版(沖縄)1982年5月1日発行

沖縄復帰10年記念切手
1982年5月15日発行
同上・那覇局特印
那覇中央局風景印
1982年7月1日使用開始
復帰10年記念 那覇局小型印 1982年5月15日

※前足立ちと四つん這い尻上がりの2種類が多いようです
沖縄復帰25周年記念
那覇中央局特印(機械押し)
1997年11月21日
20世紀デザイン切手第14集
那覇中央局ハト印(機械押し)
2000年9月22日
年賀状用機械印
2001年1月1日
首里局
沖縄局


そんな中で、復帰10年記念の首里局の小型印には、珍しく吽形(メス)のシーサーが描かれています
復帰10年記念
首里局小型印
1982年5月15日


シーサーの男女共同三角への道程はまだまだ険しいようです


ところで、復帰20周年記念の〈本土〉神田での切手展の小型印には、向かって左で阿形という極めて珍しいシーサーが・・・
沖縄復帰20周年記念琉球切手展 神田局小型印 1992年5月15日

屋根の上の単体シーサーならあり得ますが・・・
これが、〈本土〉の沖縄に対する関心の中途半端さの産物だとしたら、悲しい


シーサーとともに

 こうして沖縄の庶民文化として定着したシーサーは、焼き物にとどまらず紅型(びんがた)や漆器の意匠などにも積極的に取り入れられ、沖縄土産の代名詞となりました
芭蕉布に紅型で描かれた玉遊びをするシーサー
(玉那覇有公・作)

ふるさと切手《沖縄の織と染》 2000年3月17日発行
同上・発行記念・那覇局小型印


 とは言え、お土産物として〈やちむん(焼き物)〉のシーサーをもらっても置き場に困る・・・という人々も多かったためか、紐で吊るして壁飾りにすることで場所をとらない首だけのシーサーも生まれます
 この平たいシーサーは、瓦屋根ところか門扉さえも有しない住宅の壁面などでも活躍しています
沖縄復帰10年記念
名護局小型印
1982年5月15日

 戦前の軽便鉄道が廃止されてる一方で道路整備が進んだ沖縄では車社会化が進行し、生きてゆくうえで車の運転は必須の技能に。 ということで、シーサーだって車の運転ぐらいするようになります
エコー葉書地方版
(沖縄)
1986年9月1日発行

 ということで、古くからあるようで実は沖縄のシンボルのようになったのはこの100年位という微妙な立ち位置のシーサー君は、地域振興のイベントにも呼ばれればイヤな顔一つせずに参加してくれます
エコー葉書地方版
(沖縄)
1997年9月1日発行

 獅子舞の代わりなのか、ついにはお正月の縁起物扱いまでされるようになってしまい…シーサーの働き方改革も必要そうな今日この頃です
森口直人・画〈シーサーと初日の出〉
2003年用年賀葉書(沖縄版) 2002年11月1日発行
糸永泰子・画〈祝う門にはシーサー来たる。〉
2016年用年賀葉書(沖縄版) 2015年10月29日発行
※こういうアングルは現実的には不可能だと思います… ※う〜ん、う〜ん…
糸永康子・画〈春の彩り〉
2013年用年賀葉書(沖縄版)
2012年11月1日発行


【おまけ:タバコの箱の中のシーサー】
ハイライト
1973年11月1日発売
うりずん
1982年12月発売

観光記念タバコ
セブンスター
1978年発売

観光記念タバコ
マイルドセブン
1979年12月20日発売

沖縄復帰10周年記念タバコ
マイルドセブン
1982年5月15日発売



シーサーを探せ!(1)

ということで、屋根の上からひっそりと沖縄を見守っているガーディアン〈シーサー〉
その謙虚な佇まいを沖縄の生活の中に探してみると、たとえば近年のふるさと切手のなかにも・・・

《沖縄の花》  2002年8月23日発行



いた!


《ゴーヤー》
2005年5月6日発行

・・・いた!

《ふるさと心の風景》
第5集《花の風景》
2009年6月23日発行

・・・いた!


風景印のなかにも
那覇東局風景印
1973年12月1日〜00年11月29日
北中城局風景印
1987年10月24日使用開始



いた!

エコー葉書のなかにも

エコー葉書地方版(沖縄) 1983年2月1日発行

・・・いた!それも2か所に!




ということで、《ふるさと心の風景》第5集の八重山郵便局のシーサー屋根はシート地にも採用されました



シーサーを探せ!(2)

  そして、記念・特殊切手(《日本の民家シリーズ》第4集〈中村家住宅〉:1998年8月24日発行)のなかにも・・・
・・・いた!


  さらに、その記念特印のなかにも
絵入りハト印(手押し) 絵入りハト印(機械押し)
・・・いた!

ところが、同じ〈中村家住宅〉を描いた《文化財保護強化週間》の記念切手(1969年11月1日発行)には

・・・いない!  切手にも記念特印にもいない!

まさかアメリカ軍に禁止されてたんでしょうか???

 というのは冗談で、実際には原画の元となった写真には、家屋の正面に一本の木が写り込んでおり、これを作画上で取り除いたら・・・木の陰になっていたシーサーも消えてしまった!というのが真相のようです
 ということで、この〈日本の民家シリーズ〉の一枚の真の主役は屋根の上のシーサー! それが証拠に、郵便文化振興協会の切手発行案内の表紙は中村家住宅のシーサー全面推し!




【参考資料:中村家住宅のシーサー】
テレホンカード NTT沖縄支社 1990年7月1日発行

沖縄復帰10周年・京都駅記念入場券(大阪鉄道管理局・1982年5月25日)



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